「嘘を嘘と見抜く」よりも「すぐ義憤に駆られない」ようにするだけで圧倒的に釣りに引っかからなくなるしコスパも良いのになっていつも思う
僕たち私たちは義憤に駆られ物語を進める主人公ではない— 猿 (@jjEzShkDDk)May 14, 2018
(kramerunamazuから)
"昼休みに電灯を消したり、コピー用紙を裏表使って節約したり、残業をするなというようなことばかり徹底させて、もっと重要な「組織の戦闘力を上げる」ことが手つかずでした。
上から下まで、縮み思考が当たり前になっています。
こんな閉塞状態で人生を過ごしていくのは、お互いに人生の不作ではないでしょうか。"
上から下まで、縮み思考が当たり前になっています。
こんな閉塞状態で人生を過ごしていくのは、お互いに人生の不作ではないでしょうか。"
“小学校低学年のころ、私には棒を拾う癖があった。公園や道端で「これはいい棒だ……」という棒を拾っては、地面の上を引き摺(ず)って歩いていた。地面の凹凸が振動になって棒から伝わってくるのが、なぜだかたまらなく面白かったのである。 私は、これぞという「お気に入りの棒」を厳選して、こっそり溜(た)め込んでいた。家の駐車場の屋根に雨どいがあり、そこは棒を溜め込むのに最適だった。とっておきの棒を6、7本溜め込んで、放課後遊びに行くときに、「今日はこの棒にしよう」と選んで持って歩いていた。 ある日、いつものように棒を選ぼうと雨どいを覗(のぞ)き込むと、棒がごっそりなくなって雨どいが綺麗(きれい)になっていた。私は衝撃を受け、母に尋ねた。 「え? 棒? 捨てたわよ」 あっさり言われて、私はとてもショックを受けた。なぜ、あの素晴らしい棒コレクションを捨ててしまったのかと、半泣きで母を責めた。 母は最初は笑いながら「あんなもの溜め込んじゃだめよ」と言っていたが、私のあまりの剣幕(けんまく)に、 「そんなに大事なものだったとは気が付かなかったわ……」 と困った様子だった。 「違う棒じゃだめなの?」 とも言われたが、私はどうしてもあのとっておきの愛する棒たちじゃないとだめなのだと言い張り、落ち込んで、拗(す)ねて、母を困らせた。 大人になってこのエピソードを思い返すと、母に申し訳ない。そもそも「お気に入りの棒」って何? という気持ちになる。せめて、貝殻とか石とか、腐らなくてかさばらないものじゃだめだったのだろうか。そもそも雨どいに棒をぎゅうぎゅう詰め込んでは雨どいの役割を果たせないではないかと、子供時代の自分に文句が言いたくなる。 あのとき、よく母は「うるせえ! 棒なんか溜め込んでるんじゃねえ!」とぶち切れず、私の気持ちに寄り添おうとしてくれたと思う。今、育児で大変な思いをしている友達の話を聞いていると、ますます母に申し訳なくなる。”—
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180516&ng=DGKKZO30249870Z00C18A5KNTP00
宝物の棒の想い出 村田沙耶香
(poochinから)










The magnificent science fiction themed artworks of Col Price - https://www.this-is-cool.co.uk/the-amazing-science-fiction-art-of-col-price/
(tomohiro9rから)



















